美しい痕跡
はじめに
いつも自分の字が汚いと進歩なく嘆く私にこの本を勧めていただいたR師に感謝...

〜書かれたものは、署名されることで書かれたものそのものを獲得する。つまりアィデンティティの表現になり、所有の徴になる〜

→名前って特別ですよね。個人的見解ですが、名字で呼びつけもいいし、親しい人にはファーストネームで呼ばれたいし、こちらも呼びたい。下の名前や漢字の造り、血液型、誕生日とかってパーソナルで、これを尋ねる時って、一歩踏み込んで『貴方(女)に興味あります』ってことだと思います。尋ねてるのに、教えてくれないケースがあると、あー心開いて貰ってないなあ、、、
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名前は、深い。私は私(なの?)
ハクーっ‼️

〜上手な偽物の書き文字より、下手な本物の書き文字の方が好まれる〜

→写真はその瞬間の切り取りデータかもしれないけど、たまに振り返って見てしまう未練がましさが嫌で、若い時の数枚や仲間との集合写真を残して、捨てて捨てて捨てまくりましたが、最後に手紙や文字が書かれたカード類は、なんか、捨てられない、、、自分が生きて自分以外の誰かと影響を与え合った証、、、ってゆうんでしょうか。書いてるときの時間もそこに刻まれているように感じる、、、ちょっと一枚探してるのがあるんだけど、見つからなくて。惜しい。

〜神経科学の研究では、大人も子供も、脳が継続的な刺激に晒されると、注意力が落ち、継続して集中することができなくなると言われている。読書をするあいだは、時間のスピードが緩まり、時間が自分のものになり、日々のせわしなさから離れて自分自身でいることができる。書き物も同じである〜

→ネットサーフィンでは、無駄な時間を過ごしたかな、って罪悪感が残ることがあっても、読みたかった本や、必要があってカリカリ書いたり何か作ってる時間は、後味が悪かったことがない、、、自分の意思でわざわざその時間をどう過ごすか決めたから、でしょうかね。勿論チャンネル登録した動画を見て、勉強になるってこともあるんですが。ちょっと最近は、チャンネル数が増えて、見ないままに放置した勉強系コンテンツ情報を取りに行かなかった自分にイラっときてるかも。本末転倒ですね。

〜手で書く時間は、考える時間を尊重する。むしろ手で書いていると、考える時間が作られ、そこから表現が生まれる。コンピューターでは、意図的でないにせよ、過剰に時間に負荷をかけ、ある意味、考えがまとまる前に書こうとする。つねに考える前に、考えを決めようとしてしまうのである〜

→あー、レポートやらなきゃ、あったまいて〜。あと一息。キーボードじゃなくて、手書きで考えようっと。

あと、この本に、鏡文字について書かれていたので、ちょっとググると、レオナルド・ダ・ビンチは、左利きの鏡文字だった、、、天才故に⁉ 読む方、めっちゃ大変、、、

派生して、Wikipediaから、またまた別の記事の引用です。
〜- 東山天皇筆の「南無天満大自在天神」と書かれた御神号が、北野天満宮に残っている。この「自在天神」の部分が左右逆転の鏡文字になっている。何らかの意図はあるとされるが、他に類例がなく不明である〜

→多分、言えなかったんだ、誰も、、、
書き直して、って、、、(推測ですが)特に意味があったなら別ですが、、、(私は天神すら自在に反転させちゃうくらいの存在ですから!という諸説があったかなかったか、知りませんが)

小さな子供さんもありますし、あとは、脳の障害などで、鏡文字になったりするんですね、、、利き手交換とか、何かタレントというかギフティッドにも関係あるかもしれませんね。
つい、鏡像文字に意識が飛んでしまいました。

〜かつては考えることを書いていた。今日では書くことを考える。この論理の逆転は、書くことも考えることも、乏しくさせる〜

→うーっ、耳が痛い、、、

〜Aがこんな話をしてくれた。彼女の9歳になる息子さんは識字障害と書字障害だと診断された。息子さんは、筆記体を使わないように指導され、いつも大文字の活字体で字を書いている。「だけど私に『大好き』って書くときには、かならず筆記体で書くのよ。なんの問題もなく。息子は気持ちを表現したいときには筆記体を使うの」〜

→自分の汚い字にコンプレックス(周りに迷惑かけるという点で)があり、まあ、永遠のテーマで、故にこの本を読むようオススメいただいた訳なのですが、自分の中で丁度、自分は、筆記体が一番しっくりいってんじゃない?あら?生まれてくる国を間違えたんかな?とさえ真剣に考えるほど、普通に書くのが億劫な汚文字の使い手なんですね、、、子供の時から、習字は上手かったんだけど、、、たまに、人からも慰められるんですよね、、、医者とか頭いい人の字も大概汚くて読めないやん、て。私は医者でも、賢い人でもなく、ドイツ語とか横文字書いてる訳でもないので、他になんか、いい例えないですかねって感じで。たまに、自虐的に、ノート見返さなくてもその時、頭に入ってるからねー、と冗談言える仲の人には多用してますが、嘘です。

本の内容に戻りますが、50年代に、万年筆✒️の代わりとなったボールペンがフランス市場に参入する際のキャッチフレーズは、『彼女は走ります、走ります!』だったそうな、、、
そこは彼じゃなくて、彼女なんだ、、、
彼だと車とか機械製品とかのが、当てはまってたんだろうか、、、
あ、フェミニストの血が、、、

〜ビーロー・ラースローにより発明されたボールペンは、その後ヨーロッパ市場に向けてマルセル・ビックにより特許が買い取られ(そのため『BIC』とか『Biro』とかの通称名がついた)(略)〜

→ビックペン、、、20余年前、まだ、A4横書きではなかった頃、オレンジ色のシンプルなボールペンの存在に衝撃を受けた。大きな文字で紙に文字を自由自在に書き綴る、まさに、カリグラフィーそのものであったように、記憶している。ねぇ、センパイ。(多分そのパイセンには、届いてない心の声ですが。)
今でいうスラスラすらら、サララっとインクがドバドバ出るタイプの私好みのボールペンではなかったけど、なんかビックペン沢山買いにステーションデパートに行きました。懐かしい思い出です。

おわりに
やってしまいました。カリグラフィーの本なのに、カリグラフィー以外の部分、書き言葉にまつわるエトセトラだけでお腹一杯になり、肝心のカリグラフィーに全く触れないという、、、(超速読、、、)

とりあえず万年筆コレクションにカリグラフィー用のペン先の少し幅のあるのを試しに加えてみようかな、、、ロフトとかハンズにあるかなあ、、、
このスペースに、私に何を書けと、、、
横文字読めないし、、、
2021/1/4