あの聖地巡礼的な
なんやかや自分の目の前にぶら下がる課題をしていたら、冬休み期間中、息子達と高御座山に別ルートから登りたいという、以前から暖めていた淡い夢一つ果たせなかった。
半日そこらの時間すら、作ってやれなかった。

急遽滑り込むように、かねてより、いつか行きたいと思っていた金比羅山にお参りしてきました。

昔の日本人、江戸時代のもっと前からかちょっとうろ覚えで分かりませんが、容易く旅行とか出来なかった時代が長くあって、、、

唯一移動が許された、ってお伊勢さんやお遍路さんとかの寺社参りで、一生に一度の憧れのような存在だったみたいですね。

今よりもっと人々の信仰心も厚く、今よりずっと情報もなくて科学で何も証明されていなかった頃。娯楽もなければ、本の読み書きすら、ままならなかった頃、、、特に我等庶民は、、、

日の出とともに働き、四季折々、五穀豊穣を祈り、地域では年中行事として、お祭りの行事があり、助け合い支え合うコミュニティのベースに、神社仏閣が果たす役割って大きかったんだと思います。

疫病が流行ったり、飢饉や身内の病気など、神頼みとゆってしまうと現代の言葉だと、なんだか薄く感じますが、こもごも色んな願いを引っ提げて、やっとの思いで旅支度にこぎつけ、お参りしていたのかなあ、、、

石段を登りながら、今もですが、沢山の人の念を受け止めてきた場所ですが、山の中、参道を歩きながら心が洗われるような浄化作用を感じ、つくづくパワースポットだなあ、、、と。

山の木々が放つ生命エネルギーとマイナスイオン、信仰の対象として建立され地元の方々に奉られ守られて続けたお屋代、祠、歴史、伝統や文化そのもの、、、

そして、最後まで登れた
こんな自分だけど、といった達成感と充実感

登り切った人だけが見ることができる、山からの素晴らしい眺望

昨日までの自分じゃない自分に出会える、そんな主観的な効果があると思います。

御朱印とかも気が向いたときだけ、スタンプラリー感覚で収集してるなんの信仰心もない私ですが、、、

普段お参りって、ついあれこれ神様仏様に欲張って、自分のこと、家族のこと、お願い事をゆったりしてますが、今回は間もなく旅立つ息子の40年先までの無事をお祈りしてきました。私はその頃いませんが、、、多分。

一つのことを全うするに越したことありませんが、私自身、一つのことを全う出来なかったという感はありますが、長い人生色々あるさ、その時々考えて進めばいいさ、というスタンスでもあるので、、、

生きてさえいてくれれば、、、⛰
2021/1/12