『触れることの科学』から

(デイヴィッド・J・リンデン著、河出書房新社)
TOUCH
THE SCIENCE OF HAND, HEART, AND MIND

かなり前に読んだ『快感回路』からお取り寄せして、数ヶ月越しにやっとツンドカレ状態を解けました。

満を辞した‼️って感じです。相変わらず専門的で、読んだ端から忘れる術が発動。

いたいのいたいのとんでけ、な謎が解けたような気がしましたが、後から探しきれなかったという。

一番インパクトがあったのは、最後の方の『皮膚うさぎ』🐇のくだりなのですが、手首や肘をベシベシやり過ぎて、ただ虚しく時が過ぎたという。

とても勉強になりましたが、本のパッケージや、筆者の顔写真からも、気を抜くと1割のエロ要素が溢れ出しそうなところを、残り9割で抑えてる感があり出先で本を手に持っているときに、『お勉強ですか?』と言われて、咄嗟に自信持って『はい』と言えなかった🤦‍♀️

他の動物に比べて、足が速いわけでも、嗅覚が優れてる訳でも、視覚、聴覚が優れてる訳でもない、人類が最強の霊長類になったの、触覚に鍵があるんじゃないの?ってところから始まり、読み終わるころにも、やっぱり指先凄い!神経の回路複雑!で終わるという。

以下、本から一部?抜粋と感想的な。

★皮膚には4種類のセンサーが埋め込まれている
・質感を識別するメルケル盤
・握る力を調節するマイスナー小体
・震動に敏感なパチニ小体
・引っ張りを感知するルフィニ終末
この他にも、神経線維の種別(Aα線維、Aβ線維、Aδ線維、C線維など)により、伝達速度が異なったり、もちろんその役割もそれぞれ異なる。特にC線維は有毛皮膚を毎秒3~10センチ優しく撫でることで、「心地よさ」を感知するセンサーの役割も果たしている。
母親が子供と接する時の触れ合いや親しい間柄同士のタッチングの重要性が詳述されている。痛みの回路の中で感覚的な識別の部分と感情的な部分について痛覚失象徴症候群の例も分かりやすく挙げられている。
 
★マギル痛み質問票(MPQ)
ロナルド・メルザック博士が臨床的にみられる様々な痛みを包括する目的で開発したもの。
感覚的なもの、感情的なものがあるが、これだけ痛みに関する表現があるのかと驚きを隠せない。和訳したものが紹介されているが、もともとオリジナルがある訳だが、これを更に日本語を母語としない方々や、日本人を母語とする方々にも、なかなか説明が難しい表現が多数ある。以下に抜粋を挙げる。(数字は表に記載のまま)

1 チクチク、ピリピリ、ビリビリ、ズキズキ、ズキンズキン、ガンガン
8 ヒリヒリ、むずむず、バーンと打たれるような、ずきずき
10 触られると痛い、ほてるような、きしるような、割れるような
13 おののくような、ギョッとする、足のすくむような
17 じわっとにじむような、ひろがるような、浸みこむような、突き刺すような

オノマトペや形容詞の中でも他に、うずくような、わずらわしい、なさけない、おそるべき、もだえるようななど、かなり細かな描写がある。
 
★認知が痛みを増減する
筆者は、戦闘中に深手を負いながら他の兵士を救出した兵士の話や、子供が注射による軽い痛みを『膨れ上がる恐ろしい予期と前回のトラウマ的経験により増幅された』ものとして感じる例を挙げて、次のように表現する。

~脳は、受け取る情報を支配している。これこそが真に驚くべき事実なのだ。脳は、全ての情報を受け取って、そのうえでその時の感情的または認知的状態に基づいて知覚や反応にバイアスをかけているのではない。神経線維を通じて脳から情報を送り、脊髄からどの感覚情報を受け取るかをコントロールしているのだ。奇妙で、直観に反する状況ではないか。脳は能動的に、無意識のうちに痛みの情報を瞬間瞬間で抑制したり強化したりしている。いわばメディアを情報操作しているのだ~

筆者はマインドフルネスや禅の瞑想による『痛みの軽減に役立つ認知的/感情的戦略』についても述べられており、他の可能性も示唆している。「心頭滅すれば火もまた涼し」という言葉が思い起こされる。

本書では、身体性の痛みと感情の痛みの関係性についてはかなり深掘りされており、痛みだけではなく、『気の持ちよう』で様々な苦痛をスルーしたりコントロールする能力が人に内包されているのだという明るい光が見えた気がする。

また、筆者は、「心の痛みは本当に痛む」として、『人間関係における拒絶と身体的な痛みとは、脳内の感情的な痛み回路の同じ領域を活性化させる』と述べている。自律神経からくる体調不良とネガティブ感情の負のスパイラルには注意が必要だと改めて思う。
 
★痒みは感染する
ある実験で、被験者達が皮膚の掻き跡、発疹などの写真を見せることで痒みを誘発されるかというのがあったが、結果は有意な増加が見られた。ここで興味深いのが、『共感性』の高さが影響するとの仮説に対して、実際は、『共感性』ではなく、否定的な感情を経験する『神経症的傾向』が大きく影響しているという結果だった。ふー。

この他にも後半部分痒みにクローズアップされていて、冬の乾燥する時期、皮膚刺激からの頭皮や全身の痒みに時折悩まされるため、この痒みに対する機序やコントロールができたら、世の中の多くの人が救われるのにと思われる。

帯状疱疹後に、右前頭部の痒みセンサーだけが異常に働いて、頭皮や頭蓋骨まで掻き破り脳まで掻いてしまった女性患者の話も痛々しい。

オグデン・ナッシュという人の言葉で、「幸せ、それは痒いところすべてに手が届くこと」という言葉があるそうだが、まさしくその通りだと思う。私が若い頃、職場の先輩を学生時代の先輩に紹介したことがあるが、その時の決め手も、「痒いところに手が届くような気遣いができる」印象が決め手だった。
 
★人に見られているという皮膚感覚
俗にいう『視線を感じる』ということだろうか。筆者によると、視野の周縁部の、意識に入ってこないような物体や動きを検出し、視野の外側の出来事でも、会話の声が急に止んだり、ドアが開いて気圧が変わったりという手掛かりを感じる。そしてこれらの感覚的手掛かりに注意を向けていなくても、それらは私たちの知覚に影響を与え、脳において「過去の経験に基づいて推測を行い」、「何も存在しないところに皮膚感覚を生み出す」と述べている。

私は、これまで視線については、筆者のいうとおり、声の調子や呼吸、物音などのかすかに知覚できる何かを無意識で嗅ぎ取っているのかもしれないが、そこには、注意を向けることで確かに空気をつたって、向けられた相手方に何らかの気の流れや波動などのエネルギーのようなものが存在するのだと(気功などはしませんが)今でも思っている。科学的な根拠は分からないが。少なくとも、視界の範囲内にいる場合は、人は他人の眼球の向きや動き、身体の動作や向きなどには敏感に(人によるが)態度で感じることが多いように思う。

また、特に苦手なものどうしだと、視線を合わさずとも近い距離間で空気がびりびり震える、そんな皮膚感覚は経験があるが、どれもこれも自分の中の脳の現象であり、受け止め方、認知、感情の都合だったのかな、とも思う。相手方は何も感じていない、そのようなものかもしれない。
2021/1/31