卒業式の送辞も答辞も女子だった件
高校の卒業式
感動を求めて泣きに行く気満々で参列しました。
校長先生のお話が霞むくらい(ごめんなさい)PTA会長から、最後、先生の挨拶、保護者の感謝の言葉まで、素晴らしいエンターテイメントで感動しました。(そこかしこに感動する演出があるという意味で)
特に文化部長の答辞。
普通、ゆっくりハキハキ読み上げると、もう30分位かかるよね、って量を、自分の自然なスピードで美しい抑揚で読み切りました。
なので、たまに早くて聞き落とした語もあるけど、ゆっくり読まれるより、沢山の言葉をもっと聞きたい‼️と思えるくらい、素直で美しい言葉で気持ちのこもった内容でした。
一杯メモしたいくらい素晴らしい内容。
圧倒的な言葉の存在感。読まれているご本人の顔が見えず(後ろ向いてるので)個人という存在が隠れた状態で、言葉だけがダイレクトに胸に?心に?響いてくる。
なんて才能だ。
私には彼女と同じものは、ひっくり返っても、再現できない。文章はさることながら、読み上げる声も、気持ちの入れ方も。
同席してる卒業生も保護者も、教職員も来賓の方々も、皆んな、
スゴイな、この子
と思ったんじゃないか?
メモやテープで録音して起こしたいくらい心を打ちましたが、なんとか私のメモリに残せた言葉を再現。(若干違うかもしれませんが。)
『不条理と希望』をこの苦境で我々は学んだ。
希望を持つために必要なものは、夢、思い出、感謝だ。
また、先生の言葉を引用して、
ナチスの時代、強制収容所では、収容者の中で、クリスマスには解放されるというデマが流れ、人々は期待したが、結局クリスマス当日には、何も起こらず人々は悲観に暮れ、その日以降、自殺ではなく衰弱死の数が増加したこと、人が生きるためには希望や夢が必要なんだ。
という話や、
これから、私達は、右手に思い出、左手に希望を持って歩んでいきます。
(おぉっ、かっこよすぎだ。誰かの言葉の引用?オリジナル?)
結びは、
門を一歩出たら、そこには、春があると信じている。
(なんて文学的なんだ!)
創造性、自主性を重んじる校風の中、ものすごく親の知らないところで、子供達はこの3年間、成長していたんだな、、、と伺い知ることができた。
スポーツで輝かしい成績を収めた生徒達。
スーパーサイエンス部門でなんか凄い研究発表をした子達。
文化部でも、私が高校からのメルマガにちゃんと目を通してないだけで、(うちの子関係ないし、ってな感じで)色々な成果を残した子達。
ぜひ、今日答辞を読んでくれた彼女には、作家か政治家になって欲しい。ナレーターや報道関係もあっているかもね。
年齢関係なく、総理大臣になってもらいたいくらいだ。それくらいのポテンシャルが溢れ出ていた。
世の中には、女性は半分いるのよ、、、
男女隔たりなく育てる環境さえ整っていれば、もっと女性が活躍できる分野はあるはずなんだ、、、
何回でもいいます。
世の中の男女比は、半分半分だ。
少なくとも高校までは。
じゃあ戦士も半分女性がやれっていいたい訳ではありません。
頑張れ、、、
今日この場に集う才能溢れるタカラ達(男女問わずここにいる全ての子供達)、、、
全体を通して、多様性でゆうと、後ろ姿からだけ見ると、髪色も明るい感じの女子が一人いたくらいで(カラーリング程度)入学当初の3年前と変わらず、真面目で素朴な印象を受け、一瞬、このままなんだか偏差値教育をひきずりながら、つまらぬエリート意識にしがみつき、現実とのギャップに適応できない未来が待ってるんじゃないか、なんて想像しなくもなかったが、彼ら、彼女らは、入学からこの3年間、不条理と戦いながら、もがきながらも切磋琢磨し、助け合い、内面を磨き上げてきた、、、
後ろ姿からは、見た目は多少サイズアップしたものの、そう変わってないようにお見受けするが、きっと3年前とは比べ物にならないくらい、それぞれがバラエティに富んで進化した形が今私の目の前にいる彼、彼女達だ。
と、勝手にいいように、いいように変換して余韻に浸っています。
そして、先生が最後にご挨拶で、
教職員も、本当に生徒から学ばせてもらっていて、背中を押してもらった、、、(コロナのため、色々あり学校行事も潰れまくりで)
と男泣きされたら、感動のクライマックスのボタン押された、って感じで、こちらまで眼頭が熱くなる。
誰からも、学ばせていただく。
この姿勢、全ての場面で肝に銘じとく教訓だわ、、、先生ありがとうございました👩🏫👨🏫
喝目せよ‼️
今ここにいる全ての人間が、歴史の証人だ‼️
ってくらい、よいセレモニーでした。