現代語訳般若心経
玄侑宗久さん著
ちくま新書
正直、最後まで読めず挫折するかと思った
日数かけ過ぎて、読んだ端から忘れていっていた
漢字一文字一文字、落とし込めないまま、とにかく最後まで目を通そう、、、
これまでに般若心経の意味もわからず写経を体験でやったこともあるし
実家では、両手で数えきれないくらいお寺さんが来て、お経を最小限唱えたこともある
ただし、実家が何宗とかも、ちゃんと記憶してないので、パッと出てきませんが
一つ言えるのは、村にあるお寺さんが、今の自宅から駅への通路にあるので、ずっと祖父や祖母の眠るお墓の横を自転車で通ってきたし、お寺さん三代に渡って世話になってるし、小学校時代、お寺さんが昔、離れの小さな小屋を、図書館みたいに村の子供達に開放してくれていたころから、何度か遊び場所に使っていたし、私の息子達を夏休みの寺子屋教室に数日通わせたりもした
そんな中多分、なんちゃってそこら辺の人よりはお寺さんには興味あるし、美術や音楽、芸能関係は、ほぼ足を運ばないけど、日本人中年以降特にアルアルの神社仏閣巡りは好きな方だし
何故かお寺さんの本堂は濃くて薄暗い色合いや空間、足の裏で感じる質感は落ち着くし、床、壁、天井なんかもしげしげ眺める方だ
しっかし、、、この本、本当難しかった
9割分からなかった
紹介されてポチッたものの
なかなか理解できなくて、自分のアホさ加減に打ちひしがれた
でも、本の中で、ところどころ使われてる言葉というか概念がね、、、普段興味あるワードと重なっていた
般若心経も古典として、これだけ長く広く受け継がれてるのだから
何か生きるためのヒントや楽な気持ちになれるんじゃないか、と拾えるとこだけ拾おうと
ワタシとは、意識、命、脳、からだ、こころ、音や熱とか、とかく波のエネルギー、共時性、宇宙、、、
ワタシなんて、生まれた直後から開始されてる命ありきで、後から形成されたもの、、、
うーん、涅槃ってなんぞ、、、
しょうもないことにイチイチこころ砕くことない達観した域か、、、
読んでて作者さんの意図とはかけ離れてるかもだけど、自分が受け取ったことは、、、
良い悪い、痛い、熱い、寒いとかは、私が「ワタシ」と思ってる自我が勝手に決めて、言葉という概念で表して自分のフレーム内で解釈してる、ただそれだけのこと
大切なのは、ありのままをそのままに受け入れる
これが対人関係となると難しい
好き、嫌い、快不快の感情だけ、はどうしても切り離せない
最近富に思うこと
歳をとったり、病気になったりすると、それこそ生まれてきた世界に緩やかに逆再生していく
場合によっては、脳の萎縮や損傷があったら、これまで築き上げてきた自分という内面の世界、経験、記憶なんかも言葉とともに失っていく
人の幸せってなんだろう
できたら自分のココロは保った状態で、美しい思い出に包まれて最後の瞬間を迎えたいものです
なるたけ苦しまずに
周りも苦しませずに
みんなそう思ってるんだろうけど
今自分が立ってあくせく生きて、楽しんだり、喜んだり、悩んだり、苦しんだり、も宇宙規模でみたら、あまりに瑣末であり、全体的なエネルギー増えても、減ってもないのよね、、、
なんて、つらつら述べましたが、あんなことやこんなことも私が今の日本に今の両親の元生まれついた環境で、出会った人達から受けた影響で成り立つ自分だから、感じていることで
今まさに紛争地帯や食糧危機で命の危機に瀕している人達に比べたら、なんて私は平和な環境にいるんだ
ただいま明け方の5時半
かれこれ2時から起きてる?
たまたま昨日ちょっと急遽病院に行く必要があり、休日前だったけど、午後からお休みを頂き、ここ数日のちっぽけなカラダの苦しみから解放されて
仕事の悩みからも一時解放されて、今日一日ゆっくり過ごせることを思うと、夜中に目が冴えて
なかなか読みきれてなかった本をとりあえず最後まで読めた嬉しさ、、、
まだまだちっぽけな悩みで命尽きるまで悩むかもしれないけど、時々、立ち止まって、
人を憎んだり恨んだりの負の感情も感謝に変えよう、、、
自分も周りもココロが暖かく過ごせるように、、、
久々に長くなりましたが🌕
やっとこれでお返しできる
本のレビューおしまい📕