名言セラピー
って言葉があるらしいですね
今ちょうど読みかけの本もまさにそれ
一枚ずつ完結して読みやすいはずなのに、なかなか進まない
読むと今や過去に直面している悩みが立ち上がり、気持ちが持っていかれるので、なかなか前に進めないのです
とはいえ、一回読んだら、ふーん、で済んで、血肉とならない
だからずっと同じような悩みがループするんだろうな
せめて失敗は、ちゃんと分析しなくてはね
でもいくら考えても
いや、私、そこまでのこと、した?
そうならないように気をつけながら接し続けて、やっぱりこれか?
できたら、こちらだって関わりたくなかったよ、、
他人に振り回されて、自虐するばかりはなりたくない
まあまあ自責が過ぎるから他責の人のエサになりやすい
でも、どこか私の態度に隙があって、度々伏線があって、悪戯に他人を刺激しているのは間違いない
ならぬものはならない
し、
他人と過去は変えられない
し、
10人いたら、どんな善人も2人からは理由なく、嫌われるっていう
し、(善人じゃなくて、自他共に認める偽善者ですが何か)
相手みて、上手く合わせられなかった自分の未熟さや落ち度、詰めの甘さはあると思う
し、(不器用なのは間違いない)
相手の立場にあったら、私をみたら、きっと小憎たらしく思うだろう、と自分でも思う
し、
申し訳ないけど、相手の話を色々聞いていたら、きっとこういう思考パターンなんだろう、と思ってしまう、そんな私の態度が相手にも伝わってしまって、多分、互いの境界線が崩れて、なんだかいつも変な感じになって、同じ末路辿ってるように思う
し、
兎にも角にも、私は、色々な面で、老後の心配しなくていいほどの資産家ではないが、恵まれ過ぎているんじゃないか、との自覚がある
対人関係で、たびたび境界線問題に悩みがちな私ではあるけど、一番の助けは、身近に好きな人や尊敬できる人や守りたい人があること。環境は恵まれ過ぎている。これ読んで不快に思う人には、申し訳ないけど
自分語りですが、、、
基本、ネガティヴだから、あれこれ人の気持ちや、将来起こり得ることを考え過ぎて疲れる
かたや、ポジティブだから、私の言動が他人様の勘だの癪に触って仕方ない
ネガポジなのです
パターンにはめにくい、時と場合により、ブレ幅の極端な私の行動は、多分自由過ぎて、私を見た人の心に不協和音を生じさせてしまうのではないか、、、
自分は、わがままだし、勝手だ
だけど、それが何か?
みんなそんなもんでしょ?
あなたの考える『普通』や『平均』とかには、収まり切りませんよ?
お互いが、これまで知り合った中にいないニュータイプだっただけでしょ?
私が、多様性、と言われる側にいたのは多分間違いない
昔から言われてきたから、、、
ちょっと変わってる、、、くらいは
でも、ゴールに向けて何か目標持ってやってるか、は自信ないけど、いつ死んでも惜しくない程、日々やり切ってる感はある、、、
いや、バックギア入って、ひたすら静観したり、逃げてることだって勿論あるけど
まだまだ自分がどう育つか楽しみだから、まだ死ねんとは思ってる
子供の成長も見届けたいし、、、
昨日もらった言葉
伊達政宗
『仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎればへつらいとなる。知に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。』
何事もほどほどに。
『過ぎる』が私にはキーワードだ
10年前から、変わっていない
感情がすぐに動きやすい
だからこそ、手綱もってクールダウンする前頭葉の機能は落としたくないし、私の知らないジョハリの窓を指摘してくれる周りの大切な人達は大事にしたいと思う
写真は、こないだ人に言えないものを落書きで書いたら、思いの外、なんだかアーチスティックな感じがしたので、私が生きた記念にアップしときます