『吾唯足知』
京都大雪山龍安寺ホームページより

蹲(つくばい)
中央の水穴を「口」の字に見立て、周りの四文字と共用し「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)と読む。
これは、釈迦が説いた、「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という 「知足」(ちそく)の心を図案化した仏教の真髄であり、また茶道の精神にも通じる。
また、徳川光圀の寄進とされる。

禅の教えの言葉ですが、ネットで検索しても、まさに謎解きのような、様々なニュアンスにたどり着きます。(もともとの中国の『老子』からのとかのくだりはカットします。)

「私は満ち足りていることだけを知っている」つまり、「誰もが自らの内に全てをもっていることを知るべし」という教え。

欲せず、今あるものに感謝すべし
分を弁えよ
みたいな個人の幸福追求を抑圧するようなプロパガンダ的なものとか。

地位も富も、他人と比べたりせずに、自分に本当に必要なものを見極めましょうよ、ってなものとか。

受け手側の取りようによって、まさに、制限なく宇宙規模まで広がっていく、深いというか高いレベルの言葉。

これ考えた人、天才‼️

とりあえず、一歩ひいて自分のココロの在り方を俯瞰して、自分のいまここを見つめるマインドフルネスな状態をいうのでしょうか。

繋がるかどうか分かりませんが、無理に繋げていきますが、先日学んだ心理学でトレーナーから教えて頂いた話で、断片でまだ、自分の中に落とし込めてないので徒然ないままに進めます。

人が今の状態で、何か充足感がないなあ、何か人から認められてないなあ、何か達成感がないなあ、って思うときは、必ず、過去にうまくいった経験があって、その状態に届いてないから物足りなく感じるんだよ、って話。

不満ってのは、過去に満足した体験と比べてるって考え方。

(もちろん、今現在、他人と比べて、不満や羨望、嫉妬なんかで悩ましい状態や、衣食住、健康状態ほか求めるコンディションが整ってない場合もあるとは思いますが、それはさておき。)

初めから経験してないものは、そもそも概念にないから、足りない!もっと!って気持ちにはならないのかと。

(まーこんなもんか、とサラッと流せる境地が一番ラクな生き方なんでしょうね。行雲流水も好きな言葉。)

じゃあ、そんな不満な気持ちをどう処理したらいいんでしょうね。

⭐️まずは今の自分の気持ちに気づくこと。
⭐️過去のよい成功体験から学んで反省点があれば修正する。
⭐️過去は過去として割り切り、そのときの達成感、高揚感を今に再現して、自信に繋いでいく。
⭐️その他何かいい方法があれば、それ。

過去に成功体験があるってなら、素晴らしいこと。活用しない手はない。

逆に今まで乗り越えられなかったような壁があり、失敗や挫折を乗り越えた時に、とてつもない達成感が得られるんでしょうね。つまり、失敗ないところに、挑戦なし。挑戦ないところに成功なし。

ぐるぐる回って元のところに戻ってきたりして。

🌕答えは、自分の中にあります。
でも、人の意見を聴くことも大事。

私が師匠から、これまでに教えてもらった大事な言葉は、これで大体、アウトプットし尽くしました🙏

『足るを知る』を語らなきゃ、前に進めない😌
川西市 頼光寺 あじさい寺の『吾唯足知』
2020/1/2