天然痘から何を学ぶか
天然痘について、調べてみたらかなり引き込まれたので、アウトプット。
Wikipediaと国立感染症研究所HP等を参考にまとめてみました。
【① 天然痘(痘そう)とは】
天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つで、疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいわれる。
ヒトに対して非常に高い感染力を持ち、全身に膿疱を生じ、致死率も平均20~50%と高い。
治癒後も顔面に酷い瘢痕(「あばた」と呼ばれる)が残り、江戸時代には「美目定めの病」とも言われ、忌み嫌われていた。
治療は対症療法が中心となるが、予防法として痘苗を接種する種痘がとられ、WHOにより1980年天然痘根絶宣言がとられた。
人類史上初めて撲滅に成功した感染症。
【② 世界の歴史】
●最も古い記録は紀元前1350年のヒッタイトとエジプトとの戦争の頃。
●紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世のミイラには天然痘の痘痕が認められた。
●イスラムでは、聖典「クルアーン」の「象の章」で西暦570年ころ、エチオピア軍がマッカを襲撃する際、アッラーフが鳥の群れを遣わしエチオピア兵の頭上に石を落とすと疱瘡ができ疫病が蔓延し撤退したという記述がある。
●ヨーロッパでは、古代ギリシアにおいて紀元前430年の「アテナイの疫病(ペスト)」は、記録の症状からは天然痘が原因という説がある。(ほかに麻疹、発疹チフスなどの同時流行との説あり。)
●ローマ帝国では165年から15年にわたり「アントニヌスの疫病(ペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡。
●12世紀に十字軍の遠征により持ち込まれて以来、流行を繰り返しほとんどの人が罹患。
●ルネサンス期以降の肖像画には、天然痘の瘢痕を描かない暗黙の了解事項があったという。
●米国では1663年、人口およそ4万人のインディアン部落での流行があり、数百人の生存者のみ残したといわれる。
牛馬の家畜を持たなかった彼らは天然痘の免疫を持たなかったため全く抵抗力がなく、全滅した部族もあった。他にも麻疹や流行性耳下腺炎(おたふく風邪)などがヨーロッパからアメリカに入ったが、天然痘の被害は最大で、白人の北アメリカ大陸征服に影響を及ぼした。
●新大陸の二大帝国であったアステカとインカ帝国の滅亡の大きな原因の一つは天然痘であったといわれる。
○アステカに天然痘が持ち込まれたのは、1520年頃で、スペイン占領後も天然痘は猛威を振るい、圧制や強制労働、麻疹やチフスなどの他の疫病も相まって、征服前の人口推定2,500万人から16世紀末はおよそ100万人にまで減少し、中央アメリカの先住民社会は壊滅的な打撃を受けた。
○インカ帝国では侵攻を受けるまえにスペイン人の到達していたカリブ海沿岸地域から天然痘が侵入し、現在のコロンビア南部にて1527年頃大流行を起こし、皇帝と皇太子がともに死去した。
●インドでは1770年300万人が死亡したとの記録あり。
●英国で、Jennerにより種痘が発表された当時(1796年)、45,000人が天然痘のため死亡したといわれる。
◎中国では、南北朝時代の斉が495年に北魏と交戦して流入し、流行したとする最初の記録がある。6世紀前半には朝鮮半島でも流行をみた。
【③ 日本での感染】
○日本では、中国・朝鮮半島からの渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックがみられたと考えられている。新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰との見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響がみられた。
○585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が指摘される。日本書記には、「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられている(麻疹などの説もあり)。
○735年から738年に西日本から畿内にかけて大流行し、平城京では藤原四兄弟が相次いで死去(天平の疫病大流行)。奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行。
○独眼竜政宗が幼少期に右目を失明したのも天然痘による。
○東山天皇、孝明天皇の死因も天然痘との記録が残る。
○また、源実朝、豊臣秀頼、吉田松陰、夏目漱石は顔にあばたを残した。
●天然痘を擬神化した疱瘡神は、悪神の一つとして恐れられる。疱瘡神は犬や猿、赤色を苦手とすると考えられ、福島県会津地方の「赤べこ」や岐阜県飛騨地方の「さるぼぼ」など子供向け玩具に赤いものが多いのは天然痘除けを目的としていることが多い。
○明治年間に、2~7万人程度の患者数の流行(死亡者数5,000~2万人)が6回発生。
○第二次大戦後の1946(昭和21年)には、18,000人程の患者数の流行がみられ、約3,000人が死亡したが1956(昭和31年)以降は国内での発生はみられていない。
【④ ワクチンの由来】
●18世紀のヨーロッパでは全人口の1/3の人に天然痘後遺症があったとされており、イギリス人Jenner(1749~1823)が、種痘法を開発した。
●当時天然痘に罹患しても幸い軽傷で済んだ人は、二度と天然痘にはかからないことが知られており、また、牛や豚などの家畜にも天然痘がみられ、牛痘といわれ、酪農家で牛痘にかかる人もいたが人の天然痘のように致死的でなく、また天然痘に罹患することがなかった。
●このことに注目し、牛痘(のちに2013年モンゴルで採取された馬痘ウイルスのゲノム解析から、牛が馬痘ウイルスに感染したものであったことが判明)に罹患した酪農家の女性の皮膚から膿を採取し、使用人の息子の8歳の少年の皮膚に傷をつけ接種した。
●その1~2ケ月後に、その少年に天然痘患者から採取した膿を投与したところ天然痘に罹患しなかった。
●1796年のJennerによる歴史的人体実験により、当時牛痘は「ワクシニア」と呼ばれていたが、そこから予防接種の「ワクチン」という言葉が生まれたといわれる。
●予防効果の他にも感染後でも3日以内であればワクチン接種は、発症あるいは重症化の予防に有効であるとされている。
【⑤ 感染・症状】
◎飛沫感染や接触感染により感染。
およそ12日間(7~16日)の潜伏期間を経て、急激に発熱。
◎40度前後の高熱、頭痛・腰痛などの初期症状
◎発熱後3~4日後に一旦解熱して以降、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がる。
◎7~9日目に再度40度以上の高熱になる。発疹が化膿して膿疱となる事によるが、天然痘による病変は体表面だけでなく、呼吸器・消化器などの内臓にも現れ、肺の損傷に伴い呼吸困難等を併発、重篤な呼吸不全により最悪の場合死に至る。
◎2~3週目には膿疱は瘢痕を残して治癒に向かう。
◎治癒後は免疫抗体ができるため、二度とかかることはないとされるが、再感染例や再発症例の報告も稀少であるが存在。
◎感染力は非常に強く、かさぶたが落下したものでも、1年以上もウイルス感染力を持続すると言われる。
●水疱瘡との違いは、水泡に臍窩が見られる相違点があり、「ヘソがあるのは天然痘、ヘソのないのは水ぼうそう」と伝えられた。
※致死率は20~50%のタイプと1%以下のタイプがある。
※死亡原因は主にウイルス血症によるもので、1週目後半ないし2週目にかけての時期に多い。
※その他の合併症として皮膚の二次感染、蜂窩織炎、敗血症、丹毒、気管支肺炎、肺炎、出血傾向などがあり、出血性のものは予後不良となりやすい。
【⑥ 撲滅】
●1958年世界天然痘根絶計画がWHO総会で可決。当時は、世界33カ国に天然痘は常在し、発生数は約2,000万人、死亡者数は400万人と推計。
●当初戦略として常在国で100%のワクチン接種が戦略としてとられたが、ワクチンの接種率のみを上げても発生数は思うように減少しなかったため、「患者を見つけ出し、患者周辺に種痘を行う」という「サーベイランスと封じ込め」に作戦は変更。
●1977年ソマリアにおける患者の発生を最後に地球上から天然痘は消え、WHOは1980年5月天然痘の世界根絶宣言。以降の世界中で患者の発生はない。
【⑦ テロへの危険】
●根絶されたため、予防接種を受けた人はいないが、予防接種を受けても免疫の持続期間は一般的に5~10年とされるため、現在免疫を持っている人はほとんどいない。
●ロシア、北朝鮮他数国が、生物兵器として天然痘ウイルスを保持している可能性が指摘され、アメリカでは2010年までに全国民をカバーする量の天然痘ワクチンの備蓄を強化したとされる。
🌕「④ワクチン開発」のジェナーによる人体実験から広がり、そこから天然痘をネットでググると、「③大好きな飛騨さるぼぼキャラ」は外せない、「⑦テロへの危険」も外せない、、、「⑤撲滅」したとはいえ、感染力のとても高い天然痘の「症状⑥」を外したら意味がない、、、それ以前に、「②歴史」上どれだけの猛威を振るい歴史的に有名な人物がどれだけ罹患したかは外せない、、、
日本史も世界史も苦手でしたが、ラムセス5世に始まりインカやアステカの滅亡までの歴史を外す訳にいかない、、、世界征服の際にもたらされた疫病、、、で、切った貼ったしてるうち、すごく長くなりました。
今ここ人類が直面する人類対ウイルスとの戦いに、少しでも歴史に学べたら、という気持ちで、ペストもボッカチオも原作読んでいない私がこないだから何を言うてるんや、て話ですが、、、
コロナが落ち着いたころ、またお茶でもしましょう、、、😌