お釈迦さんの有り難い話
かなり有名なので、『釈迦』『受け取らない』とかで、ぐぐるとワンサカでてきます。

記憶の範囲でふわっとしてますが、あまり、著作権気にしなくて大丈夫そうなので、細部に拘らず、適当に綴ります、、、

▶︎今から2500年ほど前、お釈迦さんと弟子達が説法を広めようと、行脚してたそうな。

▶︎釈迦の評判を面白くないと思っていた人生斜に構えた身分の低い男が、『そんな立派なヒトなんているわけない。人前で恥を掻かせて、ボロを出させてやろう。一泡食わせてやろう。』などと不埒な思いから、お釈迦さん御一行に絡んで行きました。

▶︎衆人環視の中、男は思いつく限りの罵詈雑言をお釈迦さんに浴びせまくりました。
お釈迦さんは、男が喚き散らし終えるまで、じっと黙って聞いていました。

▶︎弟子達は、『なぜ、あのような者に、言いたい放題言わせておくのだろう』と内心ヤキモキ。

▶︎ひとしきり話終えた男が、『何故、何も言い返さないのだ?』とお釈迦さんに、問いました。

▶︎お釈迦さんは静かに男に言いました。
『あなたが、お客さんをもてなそうと、自宅に招き、丹精込めて準備した料理を振る舞ったが、客人は料理に一切手をつけなかった。そうしたら、あなたはどうしますか?』

▶︎男は言った。
『料理が余るので家人と食べます。』

▶︎お釈迦さんは言いました。『それと同じことだ。私はあなたが私に放った言葉を受け取らなかった。だから、その言葉はそっくりそのまま、あなたのものです。』

▶︎男は、その場に崩れ落ち、『ははー、参りました。大層ご無礼遣わしました、、、』

というようなことをゆったか、ゆわなかったは、知りませんが、ざっくりそんな話。

他人軸ではなく、自分軸。
他人の課題と自分の課題の棲み分け。

詳しくは分かりませんが、かの『嫌われる勇気』だったかしら⁉️アドラーさんのいうてはる事も、通じてきます。

🌕人は人、自分は自分。
当たり前のようで、なかなかどうして難しい。
センセイ...
2020/6/6