『すらすら読める風姿花伝』をすらすら読めなかった私がいうのもなんですが、10年後にはちゃんと通しで読んでみようと思います...
【林望さん著、講談社】

上段が原文、下段に著者の説明やその後に解説がついています。後者がなければ、文庫本一冊いつまでも終わらなかったかもしれません、、、

なんせ昔から暗記が苦手な私は歴史が苦手で、お能と猿楽と狂言の違いも分からなきゃ、なんならこれらのワードは、私の頭の中じゃ、楽市楽座、島原の乱、一向一揆と同じ引き出しにバサッと突っ込まれてる次第でして、、、

室町も鎌倉も安土桃山も、順番もわからない、、、

だから、風姿花伝って古典を読もうと思った事そのものが奇跡に近い、、、

紅茶花伝しか知らなかった、、、

観阿弥世阿弥の世阿弥さん、トップエリートで才能にも家柄にも、容姿にも恵まれた上、努力努力でお能という芸能を栄華極めたものにした立役者のお一人。

でも長生きしているうちに、息子に先立たれ築き上げた芸極まれりの伝統文化の衰退まで見届けてしまうのは切ない、、、

でも今もまだ、脈々と伝統芸能は息づいています。

雅びな世界をいつか、場にふさわしいよい大人になり、お能を観に行きたいものです。

風姿花伝の内容について。

🌸能の文化を継承する相応しい者にしか伝えてはいけません。
わからん奴にはわからんのだから。

👉ソクラテスの医学の書みたい🧐

でも世襲で才能ない子孫に伝えるより、やる気ある文化を継ぐべき人物に一子相伝なのですよ。
だって秘すれば花だから。

🌸手の内を観客に見せてはいけません。
秘すれば花だから。
当たり前で、見どころが予め分かっていたら、誰も意外性に驚かず、感動を生まないのです。
だって秘すれば花だから。

一子相伝の書が、古典として現代にまで色褪せず、多くの人々の胸に、、、はるばる時を超え、スノッビーな私のところにまで、届きました。

お能の伝統芸能の指南書であるのみならず、人生論だと言われる風姿花伝、、、
経営の書であり、教育の書であり、哲学の書であり、職務倫理の書、、、

すらすら読めるはずの風姿花伝、私は、お能にそもそも造形がないもので、なかなかストンと落ち込まず、鈍い自分に自己嫌悪すら抱く、辛い読書でした。半分超えるまでは、、、
確かに私のようなものにスラスラ読めるとまでは、書いてなかった。

後半、途中から、響いてきました、、、
ドッグイヤーや、マーカー引きまくり、、、
もはや誰にも貸せない、、、

どんなところが響いたというと、例えば、、、

『○○○』や(◯○○)、「〜○○〜」の部分は、原文ママです。👇

🌖上手は下手から学び、下手は上手から学べ。ウヌボレがあれば、自分の欠点をも認識できず終わる。上手でも増長や慢心はダメ、ましてや大したことないシテが慢心なんて論外。

『稽古は強かれ、情識(ウヌボレ)はなかれ』
〜ちょっと上の地位になったりすると、もうすぐに慢心して教訓をたれたがったり、部下を見下したりする輩が多いのだが、それは結局その人の能力の行き止まりだということである〜

🌗〜人間の能力というものは、「俺はこの程度だ」と自分で諦めをつけたら、もうそこでおしまい。しかもそういう小さな自我に跼蹐(きょくせき)している人は、かえってやせ我慢して他者から学ぼうともしないし、また他者を認めるということがない。しかも劣等感の裏返しか、目下のものに対して威張ったり出し惜しみをしたりする。それがつまり「情識」なのであって、芸道論からさらに敷衍(ふえん)して言えば人生を行き止まらせる「壁」となるであろう。〜

🌕『物数を尽くし、工夫を窮めて後、花の失せぬところをば知るべし』(各種の芸を稽古しつくし、工夫に工夫を加えて後、はじめて永続する『花』すなわち一生失せない芸の美を知ることができる)
〜まずは基礎、なにはともあれ自分の専門を固めよ、と。万事はそこから始まるので、それ以外の道はありえない。〜

🌖『経にいはく、「善悪不二、邪正一如」とあり。本来より、よき・あしきとは、何をもて定むべきや。ただ時によりて用足るものをば、よきものとし、用足らぬを、あしきものとす。』
〜善悪は二つ別個のものではない。邪正もまたつきつめれば一つのことである」とこう説かれている。もっともである。本来、善いといい悪いというその区別は何を以て定めるのであるか。ただその時々の巡り合わせで役に立つものは善いと思い、役に立たぬものは悪いと感じる、とそれだけのことであるかもしれぬ。〜

もういいでしょう。もう十分でしょう。
世阿弥さん、1400年頃から、そのような素晴らしい事を仰られていたんですね。
そして、この著書に出会わなければ、風姿花伝の中身を知ることなく、人生を終えてしまうところでした。

秘すれば花、、、全く意味を取り違えていました。沈黙は金なり、的な意味合いかと思っていました。
花は芸能の秘伝であり、その場での一番の見せ場であり、人の心を掌握する何かであり、心の玉ねぎを剥いていった一番真ん中の柔らかい部分をゆったりもするんですかね、、、

世阿弥さんは、こうもいうてはります。
手の内を見せるな。勝負に勝ちたければ、『知っている』ということすら気取られてはいけない、、、

深い(^^)
2020/6/16