恥の概念
ルース・ベネディクトさんの『菊と刀』。
実は読んでません。
有名ですよね。今、中年の方ならきっと聞いたことあるはずです。
すごく日本びいきな外国の方が、日本のこと書いた、って話。ちょっと誤解も、あったかしら。(→訂正します。日本に来られたことはないけど文化学者、、、日本びいきなのは、別の誰かと記憶混ざりました。いつか読むので許してください。)

読んでないからほんとすみません。
ろくにググってもおりません。
忍者や芸者のことが書いてあるかもしれません。
武士道とか。
切腹とか。
神風とか?
赤穂浪士の討死とか?

↑日本人ですが、以上の仕組みも、よく分かっておりません。

戦争で赤紙貰った人達はどんな気持ちだったの?
送り出す人達の気持ちは?
終戦後、帰還して『お恥ずかしながら帰って参りました』って、どんな気持ちだったの?
防空壕入ったら、赤ちゃんが泣くから、近所の人達から『あなたはここから出ていくべきだ』様なことを言われた若い母親は幼い兄弟の手を引いて、どんな気持ちで、その後どうなったの?

仏教とか、神道とか、あとからキリスト教が入ってきたり、なんか弾圧したり、分裂したり、色々あったみたいですが。

でも、間違いなく、今でも(少なくとも、中年と呼ばれるゾーンの方々は)、宗教的な精神の拠り所的なのがなくても、大体、

世間の目
とか
お天道さんが見てる
とか
日のあたる道がどう
とか、

多かれ少なかれ、人の目を意識して行動するように育てられたのではないでしょうか。

中年は、といいましたが、差別?区別するようで、すみません。

話それますが、、、

ゆとり世代以降の方々と、なんか一線を画してしまっている自分がいます。
これは決め付けです。ひとくくりにしたらダメですね。されて嫌なことは、人にはしない、、、

ゆとり世代の方は、堂々と『ゆとり世代ですが、何か?』と、主張してください。

やや上を見ると、私の上には、バブリーな世代がいます。

学生時代からずっと思ってました。

ジュリアナで踊って扇子振って、就職も売り手市場だったんでしょ?ワンレンボディコンとか。
竹の子族とか何とか族とか、親世代かて色々やってましたやん。
安保とか学生運動とかも、その時その時代そこにいた人らは、何かを感じ突き動かされ大体なにがしかの活動や表現してませんでしたか?

私の世代は、バブル弾けて、湾岸戦争が勃発して、超の上に、超がつく氷河期に就活時期重なりましたが何か、、、震災も直撃した年に、就活するという、兵庫の企業さん、ほぼ全滅ってイメージ。

後の1、2年もまだまだ景気は回復してなかったはず、、、

1年、2年違うだけで、違う景色を見てる。
今のコロナ期も、きっとそう。
ある日突然、(ちょっと誇張)学校に来なくていい。家庭学習だ。zoomだ。大学では前期は対面授業なしでーす。
(学費、共益費返せコールおきますよね、、、)

コロナ直前には文科省ベース?、AI時代突入で、政府が突然、社会に求められてるのはこんな人材だよ!なんていいだし、、、受験要領が変わるだの、英検とか受けろだの、蓋をあけると、やっぱ無理でーす、とか。

案の定、英検の受験費用ドブに捨ててしまった、、、想定内ですが。
(まあ、返金手続きすべきときに然るべく間に合うタイミングで行わなかった私どもが悪いけど。)

なんか話がそれまくってしまいました。

宗教的な戒律がなくても、この島国で培われてきた国民性みたいなのに、かなり上位に、周りから自分はどう見られてる?って視線を気にする恥の概念があると思います。

こればかり気にしすぎるとメンタル病んじゃうとこなんですが。

一見他人軸のようですが、まあ、俯瞰して自分の立場を見ようとすることは自分軸ともいえ、自分は絶対正しい、って前提ありきの人より、よほどマシなんじゃないの?と。

恥の概念てのは、

自分はこうあるべき、こうありたい
自分はこういう行動を周りから求められてるはず
自分はこういう行動だけは、とりたくない
あんな風にしてあんな人みたくなりたくないし、そのように扱われたくない

こんな感じの周りからどう見られてるかを気にする気持ちが、恥の感情を引き起こし、もっていきようでは、プラスに転じ、怒りなどに匹敵する強いモチベーションとなって、行動を起こさせるのかと。

半生を、振り返りながら、こんなことやあんなことを、陰で言われたらと妄想するだけで、心がザワザワ動揺してしまうので、これまで通り『恥』(似たところで『怒り』)を、エネルギーにして、あと少し残ってる作業やってしまおう。

今ここにいます。
2020/7/19