いい大人だって実のところは
褒められたい。
頑張ってるねって、誰かにゆってもらいたい。
なんか困ったことがあったら、なんでもゆってくださいね、なんて優しい言葉を掛けてもらったら、ビジネストークであっても、リップサービスであっても、泣いてしまうくらい嬉しい。
でも、それなりに歳を重ねたら、自分より若い人に色々教える立場になり、なかなか、人からそんな言葉かけてもらうことなんて、ほぼほぼ無くなる。
いい歳して人の助けを借りるなんて、、、
誰かに手を差し伸べてあげなきゃいけないのに、、、
これまで育てていただいた御恩を、返す番なのに、、、
足りない何かを埋めようと、自己啓発本が売れたり、自己啓発セミナーが流行ったり、YouTubeやSNSにはまったり、キャバクラやスナック行ったり、気の合う仲間と楽しく飲んで憂さ晴らししたり、趣味に講じたり、スポーツしたりジム行ったりして、何か足りない部分を満たしたりする、、、(このくだり、単に『キャバクラ』って言葉を使ってみたかっただけです。)
コロナでメインのガス抜きの場を奪われた人達は、一体何で埋めてるんだろう。
新しい何かを見つけましたか?
それとも、これまでそのありがたみに気付かなかった大切な何かですか?
『足りない感を感じていない、その必要がない、今ここに満足してるココロの状態のヒト』を、幸せな(状態の)ヒトと定義しています。
生憎まだ、この域には達しておりませんし、到達できそうな気も致しません。
欲まみれの俗物ですから。
ただ、最近は、沢山の『ありがとう』を言うようにしています。
何故なら、自分も言われたら嬉しい言葉だから。
〇〇していただき、ありがとうございます。
〇〇させていただき、ありがとうございます。
相手の方々から、心の声が聞こえてくる気がする。(この辺りから妄想始まります。)
(いえいえこちらこそ。私は何かあなたのお役に立てましたでしょうか。)
そんなときは、心の中でこう切り返す。
(はい、とっても。それはそうと、私こそ何かあなた様のお役に立てましたでしょうか。)
互いに『ありがとう』と言い合うことは、
あなたがいてくださって、おかげさまで私という存在は、輝きました。
お返しに、あなたの存在を認め、感謝の言葉を伝えることで、私という存在があなた様を輝かせることができましたなら、幸いでございます。
ということなのでしょうか、、、
冒頭のくだりに戻りますが、
人にプラスのストロークを求めて、例えそれが得られたとしても、ドーパミンだかなんだかの効果はすぐに切れる。
求めること自体、他力であり他人軸であり、ある種の依存だから。
ヒトには、ヒトの人生。
大切なのは、自分が自分をはげまし、ねぎらい、いたわり、認めてあげること。
『今日も、頑張ってるね!』
それができてから、やっとこヒトの心配をする。